Nekozelogs

ねこぜログ

知性とは、何を知っているかではない。どう思考するかだ。『賢い人の秘密』を半分読みました。

『賢い人の秘密』 グレイグ・アダムス



この本を読み始めていますが、やっぱり読み進めるスペースはゆっくりって感じです。
300ページくらいある中で、今やっと半分読み進めたぐらい。
読んでいる途中で、少しだけでも学んだことをまとめておこうと思います。


この本は、表紙を見ると8つの要素が出てきます。
賢い人の秘密とは、演繹・帰納・類推・実態・意味・証拠の8つである。
ですが、序章~演繹~帰納までで、ほぼほぼ紙面の半分を占めています。
特に「演繹」の部分の占めるウェイトが大きかったです。


白状すると、これまで演繹的、帰納的と聞くと「どっちがどっちだっけ…?」となるレベルでした。
言葉として知っているし、言葉の意味を習ったこともある。
でも知恵として身についていない。そんな感じでした。
ですが、この本の説明をゆっくり読み進めていくことでしっかり理解できたと思います。



演繹:賢い人には論理力がある。


人間は死ぬ。
ソクラテスは人間だ。 したがって、ソクラテスは死ぬ。

という、有名な三段論法の例があります。
こうして「普遍的なルール」を用い、結論を導くのが演繹です。
そんな説明必要ないくらいの方も多くいるんでしょうけど…。


演繹で組み立てられた論理は、前提と結論のつながりが揺るぎないものとなります。
そういう点で、演繹は「賢い人の秘密」と著者が名付けた思考法のトップに来るものです。
後述になる帰納は、演繹ほど強固なものではないということが分かりました。


繰り返しになりますが、演繹という思考法において何より大切なのは前提であり、それが正しくなければ結論は崩れてしまう。
脆弱な主張(=詭弁)には、隠された「不自然な前提」がある。
そういう目で観ることができれば、論理の組み立てが分かってくるということなのでしょう。



帰納:賢い人は自分を疑う。


森で男たちは3種類の色のきのこを見つけた。
黄色と青色のきのこを選んで食べた男たちはそのきのこを美味しく食べた。
一方で、赤色のきのこを食べた者は体調を崩し、嘔吐して苦しんだ。
男たちは、「赤いきのこには毒がある」と判断し、以後それらを避けた。



この本で語られていることのひとつに、「人間は論理を積み上げられる動物である一方で、意図しない部分でエラーを起こして誤った認知をしてしまう時もある」ということがあります。
男たちが結論付けた「赤いきのこには毒がある」というのは、本当に正しいのでしょうか。

  • たまたま赤いきのこを食べた男性たちの調子が、そもそも悪かったのかもしれない。
  • 赤いきのこに毒性があるのではなく、赤いきのこにだけ悪い虫が巣食っていたのかもしれない。
  • 赤いきのこにだけ、毒性のある物質が付着していたのかもしれない。


帰納法とは、いくつかの事象からパターンを見出し、普遍的なルールになることを見出すこと。
ですが人間はそのパターンを見つける過程で早合点をしがちなんだそうです。
たまたま試合に勝った時に身に着けていたものを常に身に着ける願掛けなど。
この程度の早合点は可愛いものですが、このエラーは重大な問題を引き起こしてしまう可能性をはらんでいます。
…例えば、肌の色だけでその人達の性質を決めつけてしまうなど。



知識ではなく、思考法を身につけるということ。


最初に書きましたが、演繹や帰納という言葉を、私は知識として知ってはいました。
ですが、この本は言うのです。知性とは、何を知っているかではない。どう思考するかだ。
この言葉に惹かれたからこそ、本書を手に取ったのだと思います。


また週末を利用して、読み進めていきたいと思います。