一日、時間をあけて結局「いま幸福を損ねるのはやめよう」と思った話。
それでもちょっとずつ前に進む意識を持っていれば、何か違うのかも。
昨日はなんとも言えねえ愚痴を日記に書いてしまった。
結局最後には思考の整理ができたので悪くはなかったんですけど。
一日生活してみて、またPCとキーボードに相対して。
どんなことを書こうかなと思った時、昨日よりは前向きになっている自分に気づきました。
今日もまとまりが無くなりそうですが、心に浮かぶままに書いてみます。
今日もやっぱり人のためになったし、それを喜ぶ自分も確かにいた。
今日も今日とて、それなりにいい仕事はしてきたと思います。
ファインプレーもあったし、感謝されたし、自分のスキルが活きた場面もあった。
そして、そういう部分に対して喜びを持つことができました。
そう、働いている間や朝散歩をしてリフレッシュしていた時間は気持ちが良かったんです。
昨日もそうだったはずだけど、夜に中途半端に自分の行いを俯瞰した。疲れている状態で。
そりゃあなりますよね。「こうやって夜疲れる日々をあと何回も繰り返すのか?」って。
中途半端に俯瞰しても、起こるかどうかもわからない不安が沸き起こってくるだけでした。
一方で、昨日も今日も瞬間瞬間は幸福な時間があったんです。
その一瞬を、ゆっくりとその瞬間に噛みしめることができているのだろうか?
湧き上がった喜びに集中できているのか?それ以外に気を取られていないか?
ならば昨日すべきだった、足りなかったことは「幸せな気持ちで寝る」だけだったのでは?
そんな風に考えています。
日常生活をジェットコースターに乗せてしまわないように、省く。
書いているうちに、結局マインドフルネス的な内容になってきました。
残念ながら自分は、スマホにかなり集中力を奪われてしまっている方だと思っています。
少なくとも現状より、もっと上手な付き合い方があると思っている…。
スマホに限らず、今は身の回りには自分の集中力を奪いに来るようなものがあふれています。
何が悔しいって、それが原因で気づけないこともあるってことです。
ちょっとした季節の移ろいを。
自分に興味を持ってくれている人との関わりを。
いい仕事をやり抜くチャンスを。
道端に咲く花の美しさを。
今、そこにあるはずの幸せ自身を。
その結果、不毛な一日を過ごした気持ちになってしまっている。
楽しいことも嬉しいこともあったはずなのに、YouTubeに脳を麻痺させてしまっている。
デジタルなもの全てに責任を負わすわけではありません。
でもそこに一線を引いて、今を味わう「間」を持ちたいと思います。