Nekozelogs

ねこぜログ

まだまだ人間になれていないなって、カーネギーを読み直し始めて思った話。

一回カーネギーを読んだ程度で、 こっち側だと思っていたのか?


昨日、仕事で上司とぶつかった。自分は自分の正しさがあり、上司の言うことは意図が意味不明だと言わんばかりの姿勢を取った。上司の考え方とは自分は相容れないものだと憤慨していた。


そこでふと、1年ちょっと前に読んだ本を思い出し、また手に取った。
D・カーネギー著、『人を動かす』です。
名著と言われるだけあって、そこからうまく人間関係の中で生きる指針を知る良い本でした。


無意識のうちに昨日の出来事をカーネギーと結びつけていたんでしょうね。
何か大切なものを見落としている気になり、読み始めて愕然としました。



第一章が『人間は指摘されると自己を正当化する』というものだった。


この『人を動かす』は、どの事柄も具体的な人物の事例になぞらえて説明してくれます。
そして一章の書き出しにあるストーリーはこうでした。

ニューヨークの犯罪史にもまれに見る殺人犯ですら、自分のことを「優しい心を持ち、誰一人として傷つけようとしない」と称した。

この冒頭からものの1,000字読んだだけで愕然としてしまいました。
自分、あっち側の人間の行動をしてるやん、と。


どう考えても「動かされる側」の人間。
反射的な防衛反応に飲まれてしまって、自分を御していない人間。
それを自分自身の50cm後ろから観察できた時、背筋が凍りました。


落ち着け、自分がカーネギーになったわけじゃないんだぞ。


全然人間ができていないわ、自分。
自分の筋を通しているという正義感に目がくらんでしまっている。
もう一回姿勢を正そう。そうすることにしました。
別に服従すればいいってわけじゃない。でもやり方があるはずだろう。
それができない状態で、「自分はカーネギーを通った」なんてダサい考え持つなよ、と。


まずはゆっくり時間を取って、『人を動かす』を読み直してみたいと思います。