Nekozelogs

ねこぜログ

ずっと魅せられている、渓流に戻る準備をしています。私が買ったもの、買うつもりのもの。

3月に始まる渓流釣りの解禁に向けて


色々趣味を持っているのですが、その一つが渓流釣りです。
アジングやエギング、サビキやチョイ投げなど、海釣りも嗜んでいますが、これほどハマった釣りは渓流しかありません。


キャンプが好きで、そこから派生して渓流釣りに憧れた自分と
無類の釣り付きで、幅を広げるために渓流釣りを始めた師匠と
コンビでここ数年、川釣りを楽しんでいます。


自分は師匠からベイトキャスティングのイロハを学び
師匠は僕をきっかけにキャンプの世界にハマっていきました。
大人になって、いい友人を持てるって幸せなことですよね。ほんと自分は恵まれている。

今、準備していること


さて、3月に始まるシーズンに向けて、着々と準備をしています。
ちょこちょこ装備を集めてきたのですが、やっぱり開幕に向けて気合が入ります。
というわけで、購入したもの、予約したもの、購入しようと思うものを書いていきます。


① 買った:超格好いいランディングネット


メルカリにてハンドメイド品を奮発して買いました。今週中には届く予定です。
木目の暖かみに惹かれたのもそうですが、一番の決め手は網の部分が明るい色なところ。
このネットを背景に釣れたアマゴを撮影するのが野望です。
まだ到着していないので、写真がない…。



② 予約した:カルカッタコンクエストBFS XG


ほんの数週間前に発表されたカルカッタコンクエストBFSの23年モデル。
カルコンの魅力はなんといってもその佇まいです。
ロープロのリールと比べて、丸型のリールは風情を感じます。


そして今回は渓流マン的には嬉しいXGモデルが登場しました。
あまり詳しいタイプではないですが、ジュラルミンギア搭載で軽量化を図ったのも渓流を意識したものなんでしょうね。師匠はブラスギアに信用を置いているようなので、ハンズオンまでソワソワしているところみたいです。


③ 買うつもり:Beams Xpan 4.3



リールもそうですが、ロッドを変えると釣りのテイストが変わりますよね。 毎年一本ずつくらいは竿を増やしていますが、今気になってるのはBeamsテレスコピックのロッドです。
Beamsというメーカーも気になるし、どちらかというとハリのあるロッドばかり持っているので、キャラの違いが気になるところです。買いたい。お財布と相談中。。。。


④ 買うつもり:モンベルの沢靴



ここ2年はモンベルの「サワーシューズ」を使っていました。
天下のモンベル製で、すごく手頃な価格で購入できました。
毎週のように川へと繰り出し、2シーズン使い込んだのでそろそろヘタってきました。
見栄えもそうですが、安全面もありますし交換がいいと思っています。
次に買うのはどれにしよう…サワートレッカーにするか…ウェーディングシューズにするか…。
ウェットウェーディングをするのは少し先なんで、急ぎの買い物ではないのですが。

⑤ 買うつもり:ちょっと大きめのサコッシュ



持っているベストに無理やりペットボトルを突っ込んでいたのをどうにかしたい。
できれば休憩でコーヒーを飲むための装備を持ち歩きたい…あたりが動機です。
荷物の整理をしているのですが、サコッシュくらいのバッグがちょうどいいかなと思っています。
狙っているのは、ワンダーラストイクイップメントさんのカンパラパックです。

まだまだ人間になれていないなって、カーネギーを読み直し始めて思った話。

一回カーネギーを読んだ程度で、 こっち側だと思っていたのか?


昨日、仕事で上司とぶつかった。自分は自分の正しさがあり、上司の言うことは意図が意味不明だと言わんばかりの姿勢を取った。上司の考え方とは自分は相容れないものだと憤慨していた。


そこでふと、1年ちょっと前に読んだ本を思い出し、また手に取った。
D・カーネギー著、『人を動かす』です。
名著と言われるだけあって、そこからうまく人間関係の中で生きる指針を知る良い本でした。


無意識のうちに昨日の出来事をカーネギーと結びつけていたんでしょうね。
何か大切なものを見落としている気になり、読み始めて愕然としました。



第一章が『人間は指摘されると自己を正当化する』というものだった。


この『人を動かす』は、どの事柄も具体的な人物の事例になぞらえて説明してくれます。
そして一章の書き出しにあるストーリーはこうでした。

ニューヨークの犯罪史にもまれに見る殺人犯ですら、自分のことを「優しい心を持ち、誰一人として傷つけようとしない」と称した。

この冒頭からものの1,000字読んだだけで愕然としてしまいました。
自分、あっち側の人間の行動をしてるやん、と。


どう考えても「動かされる側」の人間。
反射的な防衛反応に飲まれてしまって、自分を御していない人間。
それを自分自身の50cm後ろから観察できた時、背筋が凍りました。


落ち着け、自分がカーネギーになったわけじゃないんだぞ。


全然人間ができていないわ、自分。
自分の筋を通しているという正義感に目がくらんでしまっている。
もう一回姿勢を正そう。そうすることにしました。
別に服従すればいいってわけじゃない。でもやり方があるはずだろう。
それができない状態で、「自分はカーネギーを通った」なんてダサい考え持つなよ、と。


まずはゆっくり時間を取って、『人を動かす』を読み直してみたいと思います。

一日、時間をあけて結局「いま幸福を損ねるのはやめよう」と思った話。

それでもちょっとずつ前に進む意識を持っていれば、何か違うのかも。


昨日はなんとも言えねえ愚痴を日記に書いてしまった。
結局最後には思考の整理ができたので悪くはなかったんですけど。


一日生活してみて、またPCとキーボードに相対して。
どんなことを書こうかなと思った時、昨日よりは前向きになっている自分に気づきました。
今日もまとまりが無くなりそうですが、心に浮かぶままに書いてみます。



今日もやっぱり人のためになったし、それを喜ぶ自分も確かにいた。


今日も今日とて、それなりにいい仕事はしてきたと思います。
ファインプレーもあったし、感謝されたし、自分のスキルが活きた場面もあった。
そして、そういう部分に対して喜びを持つことができました。


そう、働いている間や朝散歩をしてリフレッシュしていた時間は気持ちが良かったんです。
昨日もそうだったはずだけど、夜に中途半端に自分の行いを俯瞰した。疲れている状態で。
そりゃあなりますよね。「こうやって夜疲れる日々をあと何回も繰り返すのか?」って。


中途半端に俯瞰しても、起こるかどうかもわからない不安が沸き起こってくるだけでした。
一方で、昨日も今日も瞬間瞬間は幸福な時間があったんです。
その一瞬を、ゆっくりとその瞬間に噛みしめることができているのだろうか?
湧き上がった喜びに集中できているのか?それ以外に気を取られていないか?
ならば昨日すべきだった、足りなかったことは「幸せな気持ちで寝る」だけだったのでは?
そんな風に考えています。



日常生活をジェットコースターに乗せてしまわないように、省く。


書いているうちに、結局マインドフルネス的な内容になってきました。


残念ながら自分は、スマホにかなり集中力を奪われてしまっている方だと思っています。
少なくとも現状より、もっと上手な付き合い方があると思っている…。
スマホに限らず、今は身の回りには自分の集中力を奪いに来るようなものがあふれています。


何が悔しいって、それが原因で気づけないこともあるってことです。
ちょっとした季節の移ろいを。
自分に興味を持ってくれている人との関わりを。
いい仕事をやり抜くチャンスを。
道端に咲く花の美しさを。
今、そこにあるはずの幸せ自身を。


その結果、不毛な一日を過ごした気持ちになってしまっている。
楽しいことも嬉しいこともあったはずなのに、YouTubeに脳を麻痺させてしまっている。
デジタルなもの全てに責任を負わすわけではありません。
でもそこに一線を引いて、今を味わう「間」を持ちたいと思います。

仕事は充実しているはずなのに、感じる一抹の寂しさについて30歳がだらだらと書きました。

あっという間に「ラットレース」にハマりそうになるのがゾッとする。


また月曜日が始まった、って感じています。
この週末は楽しいこと半分、楽しくないこと半分。
楽しくないことの中から20%くらいは面白さを見い出せたかしらって感じです。微妙な言い方。


ラットレース。『金持ち父さん貧乏父さん』の中で出てきた単語です。
消費するためにジタバタともがいて給料を手にし、それをそのまま消費していくサイクルにハマっていく様子をハムスターの滑車になぞらえて表現したものですが、すごく印象的な表現なんですよね。


ありがたいことに、自分は意義のある仕事ができていると思っています。

  • 自分が頑張ることで、喜んで貰える人がいる。
  • 自分なりの強みを活かせる場面があって、そこには自信を持てる。
  • 毎日「頑張ったよな、人のためになることができたよな」と思える。
  • 素晴らしい贅沢はできなくとも、不足なく生活できている。職も安定している。
  • 仕事以外でも趣味を持ち、ちょっとずつだが音楽やアウトドアを楽しんでいる。


と、書いてはみたんですが…広い意味での「ラットレース」を走っているような気分になるときがあります。


「頑張った、人のためになった」を毎日毎日繰り返しているだけのような感覚があります。


  • 金曜日にクタクタ、土曜日はダラダラ、日曜日にちょっとだけ動くを繰り返している。
  • このサイクルを延々と繰り返すのか?と思うと心に隙間風が吹く。
  • 結婚を望んでいるくせに、行動を起こせていない。時間、エネルギー的な面で自分に言い訳をする。
  • 「したいことリスト」の一部を、自分で抑え込んでいる感覚がある。



これが自分の現状。ポジティブに書くこともできれば、ネガを考えて書くとこんな風になる。
謎の息苦しさを感じながら、同じような週末に辟易しているんでしょうね。
書いてみると、気づくことがちょこちょこ出てきます。



気づいたこと。エネルギーの分配と、与える幸福の分配。


気づいたこと

  • 自分の仕事ぶりは、決して悪いことではない。自分の能力で役に立てること自体は幸せなこと。
  • 一方で、仕事を他者のためだと思う割合が増えている。自分へのメリットは金銭だけか?
  • 自分の成長、スキルアップが別ベクトルの楽しさや喜びをもたらしてくれる可能性。
  • 他人の幸せのために週5日働いている自分がいるが、自分のことはどれだけ幸せにできているか?
  • 仕事を上手くコントロールして、エネルギーの節約に力を入れてみよう。
  • たまには仕事を休みにしよう。3連休や4連休を思い切って自分のために与えよう。
  • 寒さのせいでネガティブさが増しているのかもしれない。
  • 「したいことリスト」の達成について、本気で考える時間を取ろう。
  • 結婚の件も動かないと始まらないし、これからの人生の中で今が一番新しいんだと思う方がいい。



間違ったことは、きっとしていないんだと思う。
それでも何とも言えない寂しさが襲ってくるのは、どうしようもない訳でもなさそうです。
ちょっと自分を労ってあげたら、楽させてあげることができたら。
そう思うようにしたいと思います。またいつかポジティブな日記が書けますように。

知性とは、何を知っているかではない。どう思考するかだ。『賢い人の秘密』を半分読みました。

『賢い人の秘密』 グレイグ・アダムス



この本を読み始めていますが、やっぱり読み進めるスペースはゆっくりって感じです。
300ページくらいある中で、今やっと半分読み進めたぐらい。
読んでいる途中で、少しだけでも学んだことをまとめておこうと思います。


この本は、表紙を見ると8つの要素が出てきます。
賢い人の秘密とは、演繹・帰納・類推・実態・意味・証拠の8つである。
ですが、序章~演繹~帰納までで、ほぼほぼ紙面の半分を占めています。
特に「演繹」の部分の占めるウェイトが大きかったです。


白状すると、これまで演繹的、帰納的と聞くと「どっちがどっちだっけ…?」となるレベルでした。
言葉として知っているし、言葉の意味を習ったこともある。
でも知恵として身についていない。そんな感じでした。
ですが、この本の説明をゆっくり読み進めていくことでしっかり理解できたと思います。



演繹:賢い人には論理力がある。


人間は死ぬ。
ソクラテスは人間だ。 したがって、ソクラテスは死ぬ。

という、有名な三段論法の例があります。
こうして「普遍的なルール」を用い、結論を導くのが演繹です。
そんな説明必要ないくらいの方も多くいるんでしょうけど…。


演繹で組み立てられた論理は、前提と結論のつながりが揺るぎないものとなります。
そういう点で、演繹は「賢い人の秘密」と著者が名付けた思考法のトップに来るものです。
後述になる帰納は、演繹ほど強固なものではないということが分かりました。


繰り返しになりますが、演繹という思考法において何より大切なのは前提であり、それが正しくなければ結論は崩れてしまう。
脆弱な主張(=詭弁)には、隠された「不自然な前提」がある。
そういう目で観ることができれば、論理の組み立てが分かってくるということなのでしょう。



帰納:賢い人は自分を疑う。


森で男たちは3種類の色のきのこを見つけた。
黄色と青色のきのこを選んで食べた男たちはそのきのこを美味しく食べた。
一方で、赤色のきのこを食べた者は体調を崩し、嘔吐して苦しんだ。
男たちは、「赤いきのこには毒がある」と判断し、以後それらを避けた。



この本で語られていることのひとつに、「人間は論理を積み上げられる動物である一方で、意図しない部分でエラーを起こして誤った認知をしてしまう時もある」ということがあります。
男たちが結論付けた「赤いきのこには毒がある」というのは、本当に正しいのでしょうか。

  • たまたま赤いきのこを食べた男性たちの調子が、そもそも悪かったのかもしれない。
  • 赤いきのこに毒性があるのではなく、赤いきのこにだけ悪い虫が巣食っていたのかもしれない。
  • 赤いきのこにだけ、毒性のある物質が付着していたのかもしれない。


帰納法とは、いくつかの事象からパターンを見出し、普遍的なルールになることを見出すこと。
ですが人間はそのパターンを見つける過程で早合点をしがちなんだそうです。
たまたま試合に勝った時に身に着けていたものを常に身に着ける願掛けなど。
この程度の早合点は可愛いものですが、このエラーは重大な問題を引き起こしてしまう可能性をはらんでいます。
…例えば、肌の色だけでその人達の性質を決めつけてしまうなど。



知識ではなく、思考法を身につけるということ。


最初に書きましたが、演繹や帰納という言葉を、私は知識として知ってはいました。
ですが、この本は言うのです。知性とは、何を知っているかではない。どう思考するかだ。
この言葉に惹かれたからこそ、本書を手に取ったのだと思います。


また週末を利用して、読み進めていきたいと思います。

最近のギター練習。プロ講師のレッスン動画が最高です。

日本のギタリストなら、どこかで出会っているであろう宮脇俊郎先生。


最近、アドリブの練習をしているんですが、宮脇俊郎先生というギターの先生の動画を活用させてもらっています。
この方、私がギターを始めた高校生の頃からお世話になっています。
どういうことかというと、私がギターを始めてすぐ買った教則本が宮脇先生のものということなんです。



『ギター基礎トレ365日!』 宮脇 俊郎(ギターマガジン)


たくさんのギターや音楽の教則本を作られている方なんです。
おそらくギターを練習したいと思って書店にいった人たちの中で、宮脇先生著作の本を見たことがない方はいないことでしょう。
それくらい沢山、そして丁寧に教則本を書かれています。


Amazonの購入記録に残っていました。この本を購入したのが2009年の3月。
今でもオススメできる教則本だと思います。
初心者が少しずつステップアップするのにも良いし、中級者が基礎を見直すのにはさらに向いています。
今はkindle unlimitedでも取り扱っていますので、iPad等をお持ちなら気軽に試せそうです。



宮脇俊郎さんは、教える人としてすごくレベルが高いと思う。


この『ギター基礎トレ365日!』は、当時書店に並んでいた教則本の中でも秀でたコンセプトの本でした。
1日1レッスン、52週ごとにテーマが設定されており、少しずつギターのイロハを学べる。
このスモールステップ感が、入門者にとってすごくとっつきやすいコンセプトだと思いました。
この本のコンセプトだけでなく、他の宮脇先生の著作も眺めてみると素敵なものばかりです。
きっとギター講師・教える人としてとても優秀な方なんだなと想像します。


そして現在、宮脇先生は多数のレッスン動画をYouTubeに上げています。
ぜひ興味のある動画を一つだけ選んで再生してみてほしいです。願わくばギターを携えて。



一本当たり20分以上と、おそらくYouTubeのトレンドとしては長すぎるくらいの動画だと思います。
ですがこの長さ、ギターのレッスンとしては本当にちょうどいい長さなんです。
しかもマンツーマンで教わっているかのような練習内容。本当に素敵なんです。

  • ライブ形式を取ってくれているので忙しさがなく、途中で停止したりする必要性がないのがストレスフリー。
  • 画面の向こうの自分たちを意識して、交互に弾いて練習するようにしてくれている。
  • アドリブで使えるフレーズを決まり文句として練習しつつ、自由に弾く練習も行うことができる。
  • バッキングトラックの準備がしっかりしている上に、少しずつテンポを上げてくれるのでとっつきやすい。
  • 練習用譜面も教則本を見ているかのように綺麗で、しかも徐々にステップアップできる難易度。
  • ホワイトボードで教えてくれているかのように、譜面にポイントを書き込んで見せてくれる。
  • 一緒に弾きながら「いいですよ!上手!」と良いところで声をかけてくれる。見えていないはずなのに。



などなど。おそらく実際にレッスンされている時のノウハウを、すごく綺麗にライブストリーミングの形に落とし込まれているんだと思います。
しかもこれらの秀逸なレッスン動画たちを無料で配信してくれている。すごすぎる。
少しずつ動画を見ながら練習して、基礎力アップとアドリブができる技術習得を目指していこうと思います。

ゼルダには癒やしがある。続編はこうがいいなと妄想した話。

Zelda is perfect. と、カナダ人の友達が貸してくれたのがブレスオブザワイルド


任天堂大好き人間なカナダ人の友人。彼と雑談していた時に、ブレスオブザワイルドについて熱く語ってくれたのが、このゲームとの出会いです。


いわく、「ゼルダはパーフェクトだ」とのこと。
いわく、「ブレスオブザワイルドにはゲームとして自分が求めている物すべてがある」とのこと。
いわく、「年末年始旅行に行くから、その間俺のSwitchとZeldaはお前のものだ!」とのこと。
そうやって4年前の年の瀬にこのゲームに触れました。
ありがたい友達です。もうカナダに帰ったけれど、元気かなあ、アンドリューくん(仮名)。

ほんの10日間で走りきってしまうにはもったいないくらい楽しみました。
できる限りマップを縦横無尽に走り回り、帰す前日にもったいない気持ちになりながらガノンを倒したのを覚えています。

そして先週、ブレスオブザワイルドを購入し、数年ぶりにハイラルの原野に戻ってきました。



久しぶりの「また戻ってきたゲーム」「癒されるゲーム」


一度やりきったゲームをもう一度遊ぶっていうのは、あんまりやらないタイプなんで。
でも、ブレスオブザワイルドには強く惹かれ続けてきました。
それほど強く記憶に残ったゲームであり、他に代わりのないゲームなんだと思います。


できるなら記憶を消して――と、ありきたりなフレーズかもしれませんが…。
そんな気持ちでプレイしています。このゲームほんと楽しいです。
手触りの良さ、操作・説明の丁寧さ、音楽・効果音・背景音の心地よさ、風景の空気感。
どれを取っても素晴らしいんですよね。僕が説明するまでもないくらいですが。
考察しがいのある大河的なストーリーも大好きです。自分たちが考える余白のあるところがなお良い。


このゲーム、癒やしのあるゲームなんですよね。
もちろん自分が実際に野山に出かけ、自然に触れ合う以上の体験はないと思いますが。
それでも「ゲームにできること」の大枠を埋めているように思います。
スプラトゥーンみたいな、エキサイティングなゲームも楽しんできましたが、熱中するあまり忘れていたものを思い出させてくれるようなゲームが、僕にとってのブレスオブザワイルドです。



自分語り。『ティアーズオブキングダム』に、僕が求めているもの。


自分が発信するまでもありませんが、新作の発売まであと5ヶ月。
今回ブレスオブザワイルドを買ったのも、5月の新作を見据えてです。


あれだけヒットした作品の続編って、なかなか難しいと思います。
いろんな人達がいろんなフィードバックをするだろうし、開発する人も意気込みがある。
前作から自然な筋で新しい冒険を作るって、生半可な努力でできるものじゃないです。
そんな中ですが、「こんな体験をしたい」という、個人の感想を書いてみようと思います。
どちらも言い換えれば現状維持みたいなところがあるんですが…。

1.「完全に未開の原野」を冒険したい。

早速無茶振りだと思っています。自覚はあります。
だって舞台の中心にはハイラルがあるし、そこを変えることはできませんもの。
前作が100年という時空をまたいだ物語である以上、同じように時間経過を使うのは難しいですし。


トレーラーを見ていると、古代の空中都市のような場所で冒険するリンクを見かけます。
でも、僕が冒険したいのは地平線の先にも無限に広がっていくような大地です。希望です。
ブレスオブザワイルドにあった、あのワクワクはそういうものだった。
同じものを求めてしまっているのは、現状維持として受け入れられないことでしょうか…。
書けば書くほど、開発する方なら悩みまくるだろうなあと思います。


2.自由度のあるストーリーを楽しみたい。

これも、自分が続編を作るとなると悩ましいところです。
前作を引き継いで、そこから新しい要素を継ぎ足して、ひとつの物語を作る。
それを考えた時、自分みたいな人間だとつい一本道なストーリーラインに逃げ込みたくなりそう。
続編を作る必然性とか、説得力とかを出すためにです。

ブレスオブザワイルドは、考察しがいのあるストーリーラインも魅力です。
でもそれ以上に「体験」があるからこそ名作なんだと思います。稀有な癒やしのあるゲームたる所以だと。
その絶妙なバランスを、次回作でも味わえるのなら最高だと期待しちゃっています。




と、つらつらと好き勝手に書いてみました。
「こうして!」ではなく「どんな感じかなあ」という妄想です。
どんな作品に仕上がっているのか、5月に出会えることが本当に楽しみです。
開発してくださっている方々に感謝の気持ちを込めて、まずは2度めのブレスオブザワイルドを楽しんでいきます。

お尻は必要だったのか。週末に買った本3冊。

今週買った本。


週末も本を探しに書店へ行ってきました。
先週は良い本に出会い、黙々と読んでいるうちに2冊読み切ってしまったので。
今週もそれくらい熱中できる本に出会えたらいいなと、期待にウキウキしながら。
購入した本は3冊です。

その1:『賢い人の秘密』 グレイグ・アダムス



ちょっと背伸びしたつもりで購入したのがこの本です。
思考術というか、論理を組み立てる力というか、そういったものに興味を持っています。
そこまで破綻した人間ではないと信じたいですが、それこそこの本を通して自分の思考力を高めるヒントを得られるのではないか?と思っています。


こういった内容は、決して知識ゼロから何かを得るタイプの本ではないと思います。
どちらかというと日常生活や仕事において、自分たちが無意識のうちに使っているツールたちを、うまく言語化・体系化されているものであって、整列されたそれらの要素を眺めていくことで無意識的なものを意識的に使うことができるのだろう…という、小さな自分への期待から手に取っています。

実際に読み始めていますが、そんな感じ。しかも決して難解で読みづらいってわけでもないのが素敵。
「賢い」というのは説明のスマートさにおいても秀でているんでしょうね。なお憧れます。


その2:『人生を面白くする本物の教養』 出口哲明



この本を手に取ったのは、この方のお名前を存じ上げていたから。
「人が賢くなる方法は「人」「本」「旅」に尽きる。」という言葉に、偶然出会ったのがきっかけです。
当時はその言葉だけ印象に残っていました。


一度思い出したときは、簡単に名前を見て「ふーん、出○哲朗さんってものすごい含蓄ある言葉を残しているんだなあ」と情けなさすぎる勘違いを起こしました。
お陰で二度目に思い出して「出川哲朗 人 本 旅」と検索しまくって首をかしげました。恥ずかしい。


閑話休題


教養が人生を面白くするっていうのは、そのとおりだと思います。
人が何かに感動し、心を揺さぶられるには理由が必要です。
その理由は必ず自己の内面から現れるものだと思っています。
いっぱい知っていれば、そのぶん面白い。安直に見えて間違っていない気がします。


その3:『バズる文章教室』 三宅香帆



こういう本も結構好きです。
「これを読んだら私もバズラー(?)のひとりに…!!」なんて下心ではなく…。
文章からにじみ出る個性や、読み手が惹かれるのは何故かということを、網羅して表現しているところが知的な面白さになっている本だと思います。


純粋に様々な書き手が生み出した質の高い文章を楽しみたいし、そこから学びがあればいいと思っています。
あとは、「バズる文章」を編纂している一方で、カバーにお尻丸出しの女の子がいるのはどうしてなんでしょうか。


結局ビジュアルで目を引くのが一番なんでしょうか…。この表紙じゃなかったら、自分はこの本を手に取っていなかった…?などと疑心暗鬼になりながらレジに向かったのを覚えています。

大人が師匠を見つけるには、やっぱり本なんだろうなと思った話。

自分の課題・悩みがオンリーワンなはずがない。


中学生くらいの子に「よく本を読んでるよね。しかもちょっと難しそうなやつ。」と言われたことがあります。
その時、あまり考えずに口に出た言葉がこうでした。
「この年になっても『先生』に出会う方法は、読書が一番なんよ。」

実際その通りですよね。大人になって、普通に働いて生活していると大切な何かを教えてくれる先生は名札をつけてこっちにはやって来てくれません。
でも自分が抱えているモヤモヤや直面している課題って、人類の歴史上初めてのことでは絶対ありませんよね。

「あー、それね。そんなことで悩んでた時期もあったわ。懐かしいわあ。」

なんて笑い飛ばすような人、探したらどこにでもいるんでしょうね。天国から笑われているような気すらします。
本の中には、すべての悩みの答えが書いているなんて言うのは言い過ぎなんでしょうか。



「もう自分は到達するところまで来た」とは思いたくない。


子どもからしたら、大の大人が先生と出会おうとしているなんて言うのは可笑しく聞こえるんでしょうかね。

少なくとも自分は、子供のときはそうだったし、働きだして数年間は思いこんでいた気がします。
大人になるということは、完成されたということなんだろうと。
大人になってからのマインドセットの変化は、やっぱり本がきっかけでした。
何冊かの本に出会い、それらに視野を押し広げられる経験をしてきました。
自分自身が仕事をして、一生懸命ミッションのようなものに向き合って手に入れた物もありました。
でもやっぱり、経験だけじゃ足りなかったのかもしれません。本が教えてくれたことは偉大です。



淡々と大海にボトルレターを流す。誰かに届いたという事実がありがたい。

進みだしたら、やっぱり動いていくんだなあという感想。


記事を書き始めて10日あまり経ちました。
初めてみるとあっけないもので、なんやかんや続いていきます。
文章を書くための奥義は、まず1文目を書くことというのは、色んなことに当てはまりそうです。
1つ記事を書いてしまえば、そこからは淡々と続いていくというオチでした。

簡単な話、なんでもいいから発信したいと思った瞬間に始めれば良かったとも思います。
1年、2年と時間が経てば立つほど成果物は積み重なっていくのですから、早く始めるに越したことはありません。
まあ、ひどく後悔しているわけではありません。
今はただ、始められた自分がいるだけで満足です。



反応してもらえるのは、やっぱり嬉しい。


ありがたいことに、自分の書いた記事に足跡を残してくれる方がいました。
☆がひとつ、ついていたのです。
本屋さんに行って、興味がある本を探しに行った時の記事です。


別にバズったわけではありません。バズるはずがない。アクセス数なんてあったもんじゃない。そりゃそうだ。
でも自分が書いたものをボトルメールに詰め込んでネットの大海に解き放った結果、一人のひとの目に触れた。この事実だけで大満足なんです。そして優しいことにその方は☆を残してくださった。
本当にありがたいことです。開始10日にして「読んだよ」という無言のメッセージを頂けたこと、自分は幸せな人間だなあとすら感じます。

星をつけてくださった方のおかげで、私は今日もキーボードを叩いています。
顔も知らないどこかの誰かに、ピッタリとはまるボトルメールを海に流すために。