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自分自身を取り返すための「一意専心」について

一意専心:他に心を動かされず、ひたすらひとつのことに心を集中すること。


この言葉ほど、現代に暮らす私達にとって難易度が高い言葉も少ないかもしれません。
今やスマートフォンはなくてはならないアイテムとなっていますが、同時に厄介者でもあります。
中に入っているアプリはひっきりなしに通知を鳴らし、開けば脳に刺激的な報酬を与えてくれる。
もう一度下にスライドすれば、また素敵な情報に出会えるかもしれない…。
そんな気持ちとともに「スマホ沼に」ハマってしまいますよね。私はYouTube shortが悪さをしています。

そしてついついやってしまう、ながらスマホ
料理しながら、髪を乾かしながら、テレビを見ながら、スマホスマホスマホ…。
「なにをしているんだっけ」とふと我に返り、青ざめたこともありました。
一意専心。今の自分が増やしていきたいものです。



人を育てるのは、没頭だと思う。 人生を前へ進めるのは、集中だと思う。


心を集中させる…言い換えるなら没頭ですよね。
専心で取り組んだ時と散漫に作業した時では、色んな面で質が違います。
正確さ、速さ、アウトプット量、創造性など。それ自体が没頭の価値のように思えます。
でも直接的な価値以外にも、何かひとつに心を集中させるよさってあると思います。

  • 食べるときは、作っていただいた料理と向き合って食べる。
  • 本を読むときは、心を穏やかにして書き手の心を拾うように読む。
  • 誰かと話すときは、その人との会話だけを楽しむ。
  • 歩くときは、自分の足が一歩一歩地面を踏みしめることに集中する。
  • 勉強するときは、目の前の勉強だけを見る。
  • 時々、目をつむって深呼吸の息だけに注目してみる。
  • たまには音楽を、それだけを味わうように聞いてみる。
  • 運転する時も、車の挙動やハンドルの手触りなどの感覚を研ぎ澄ませてみる。

思いつくだけでもたくさんの「没頭」が見つかりました。
そうやって集中して一意専心することで、不思議な感覚を味わうことができます。
まるで自分の足で自分の人生を進んでいるような感覚です。
スマホに時間を奪われている時とは正反対の感覚です。

その道を謙虚に極めることで生まれる「智」を、残せるような人になりたい。『自分に語りかける時も敬語で』を読んで。

名越先生の動画を見て、ジャケ買いしました。


好きなYouTubeチャンネルの中に、名越康文先生のものがあります。
ゲームさんぽ系の動画が大好きです。登場人物の深読みが素晴らしいんですよね。
鮮やかに的中することもあるし、ズレていても何故そう思うのかを聞いているのがまた面白い。

そのチャンネルで、紹介されたのがこの本です。
秋田道夫さんの『自分に語りかける時も敬語で』という本。
まずタイトルが素敵ですよね。内容もほとんどわかっていないのにすぐ購入して読みました。


ベテランプロダクトデザイナーの、仕事や生活にまつわるエッセイ。


存じ上げなかったのですが、秋田道夫さんはデザイナーの方です。
デザイナーというクリエイティブなお仕事を、自分はやっぱり特別視しちゃう気持ちがありました。
そんな人もやっぱりいるらしく、秋田さんは諭すように「むやみにデザインを勉強しようとしなくていいよ」と語りかけてくれます。

何か学びがあればいいと思って、自分の仕事語ってみるよ。
君たちは君たちの世界で、いい仕事をしていこうねという感じです。



人として魅力的であること。謙虚にいい仕事をしていくこと。


人当たりの良さ、仕事に対する誠実さ、謙虚な自己評価。
確かにそういうものはどんな仕事にでも当てはまる仕事ですよね。
いい仕事を行うことで、誰かを喜ばせたり、何かを良くしたりしていくこと。
そんなことを繰り返していくことで、きっと自分にも「智」が蓄積していくのでしょう。

横着と要領は紙一重です。


そうやって蓄積させた「智」で、秋田さんのように自分の言葉を残していきたいと思います。

夕方、自分と仕事を切り離すための過ごし方。

土曜も日曜も、精力的に休みを楽しみたい。


四角大輔さん著『超ミニマル主義』を今日も読み進めました。
今日読んだのは、主に休み方についてのページです。
最高のパフォーマンスを生み出すために、仕事の外でできることが網羅されていました。

自分の最近の課題は、その日の疲れをその日のうちに取ることです。
週末クタクタになることが多いのをどうにかしたいと思っています。
加齢…という理由で片付けたくない意地はあるんですけど…疲れているのは事実。

平日5日働いて、徐々に体力が減っていく感じの生活をして
木曜日や金曜日は朝からパフォーマンスが落ちてしまっている…。
そして土曜日になった途端、ヘロヘロになったり、いわゆる週末頭痛のようなものに襲われたり。
充電なのだと言い訳はできますが、もっと平日のうちに工夫できる気もします。



今日、仕事から帰って取り組んだこと。


目指すは、帰宅したら完全に仕事から離れてしまうこと。
そして明日もいいパフォーマンスを発揮するための準備。
四角さんの本を読んで、今日できることをしてみました。

① すぐに入浴の準備。待ち時間で読書する。

いつも寝る少し前に風呂に入っているんですが、今日は帰宅後すぐ入浴しました。
これも仕事から切り離れるための工夫のつもりです。
待っている時間もダラダラスマホではなく、ゆったりと本を読むようにしました。
このタイミングで入浴するのもアリだなと思いました。なによりさっぱりしますし。

② 手を動かす作業。いつものお味噌汁づくり。

夏に土井善晴さんの本を読んでから、ほぼ毎食お味噌汁を作っています。
サラダを作るくらいなら、加熱してかさを減らせるぶんお味噌汁のほうがよく食べられます。
手順も効率化が進んでいます。分量も感覚でできるようになりましたし、調子に合わせて濃さも変えます。
そうやって毎日手を動かして同じものを作って食べることもコンディショニングのひとつだと思います。

③ ゆっくりご飯を食べたら、少し散歩。

夕方の時間に体を動かしたいと、時々思うことがあります。
リングフィットやヨガもありなんですが、夜風に当たることにしてみました。
20分ほどふらふら歩いてみるのも気分がいいものです。
こういう時に、体を動かしたほうが疲れが取れるのって、逆説的で不思議な気分です。

④ PCに向かって作業するのは短時間で。あとは好きなギターと読書。

ライフワーク的にブログ記事を書いてみたり、人には見せない日記を書いています。
最近はブログのために日記の分量を減らすように努力しているところです。
集中すれば1時間くらい。仕事をしているというより、自分の目標に近付くための時間って感じです。

読みたい本を探しに、本屋さんに行く。

読む本がなくなったら、本屋に行く。


本屋さんに行くことで、本との出会いがぐっと近づく。
普段読んでいる、ビジネス書のスペースに立ち寄って、今自分が考えていることに近い本を探す。
琴線に触れるタイトルのものはないか?光って見える表紙のものはないか?と眺めてみる。
新刊の新書が並べられているところへ行く。どんな本が多いのかと見てみる。
面白いエッセイを探してみる。趣味の雑誌を探してみる。
気になったら手に取り、ちょっと読んでみる。数冊買う本を決める。
そんな時間が自分にとっては貴重です。



週末に手に取った本①:超ミニマル主義


この週末、本屋さんに行って2冊の本を買いました。
ひとつめは四角大輔さんの『超ミニマル主義』です。

四角大輔さんの本は、これまで数冊読んできましたがどれもお気に入りです。
「身軽に生きようぜ。大切なものって、そうしないと見逃してしまうじゃん。」
そう言われているような気分がするのです。
アウトドアの世界をこよなく愛して、自分で自分にとって最良の生き方を堂々と選んでいる姿に尊敬の気持ちが生まれます。

自分は、四角さんの本を読んでいると将来どういう生活をしたいと思っているのか想像が膨らんできます。
こんな体験をしてみたい。こんな環境で暮らしたい。
たぶんそれは「将来」ではなく、「今すぐ」行動していくべきなんだとは思いますが。
少なくとも、自分の思いは発信してみようかなと考えています。



週末手に取った本②:君は誰と生きるか


ふたつめは永松茂久さんの『君は誰と生きるか』です。

この本は表紙を見て思わず手に取り、数ページ読んですぐ購入を決断しました。

漠然と仲間を増やしたい、人の輪を広げたい。
数年前からそんな思いや焦燥感に駆られることが増えてきました。
この本はそんな気持ちを最初の数ページでぶった切りました。
人脈なんていらないのだそうです。

この本がどういうふうに話が進んでいくのか、自分の想像力から全然思い描けないんです。
しかも自分が考えて、求めてしまっていることに対する答えが書かれているように見える。
そんな本とばったり出会えたのも、なにかの縁のように感じます。
これから読むのが楽しみです。

数年間ろくに弾いてなかったくせに「ギターが弾ける」と豪語していた自分の反省と、大人の趣味のあり方について。

自分のダサいプライドに、やっと気づいた。


ずっと音楽が好きです。聞くのも弾くのも、味わうのも生み出すのも。
そう思ってたんですが、気づけばギターに数年のブランクが空いていました。
弾いてなかったくせに、自分はギターが弾けるという妙な自負がありました。


しばらく弾いてなくても、30分くらい弾けば勘を取り戻せるから。
難しい曲はしんどいけど、ちょっとした曲・フレーズなら弾けます。
そういう微妙なプライドだけ持って、あとは弾かない理由のオンパレード。
忙しい。時間がない。いつでも弾ける。他に面白いことがある。
ひょんなことからギターにまたハマり、基礎練することにのめり込んで気づいてしまいました。
今までの自分、めっちゃダサいやんって。




危うく虎になるところだった。


李徴ほど才能に恵まれていないので、例えに出すのも気が引けますが。
でもやっていることは山月記に近い気がする。
気づいた時は頭をぶん殴られたような気分でした。
危うく自尊心だけ膨らますところだった。しょーもないギタリスト(笑)になるところだった。


練習をすれば、誰でもできることを増やせます。必要なのは才能ではなく時間。
身につけた能力をアウトプットするのも誰でもできる。やっぱり必要なのは時間。


何かに到達するためには、人生って短いんだと思います。
ギターが中途半端ならそれでもいい。他のことに夢中になって極めればいい。
でもそれなら変なプライドごとギターを捨ててしまえと、自分に言うことにしました。




本気でやると、やっぱり面白い。


別にプロを目指しますって訳じゃないんですけどね。
でもYouTubeを開くと出てくる、楽しそうにギターを弾く人たちみたいに弾いてみたい。
ならば練習しよう。勉強しよう。ギターを手に取ろう。時間をかけよう。
そう思ってすき間時間を見つけては、チマチマと練習中です。


そうすると発見があります。
ギターって面白い。基礎練習ってじわじわと自分の限界点を押し上げてくれる。
今まで間違ったことしていたんだ。上手い人はこういう風景を見ているのかな。
そういう過程って最高に楽しいんですよね。これぞ趣味なんだと思います。
自分はこれからどのくらいまで上達できるんでしょうか。
ワクワクしながら今日もギターを弾きます

上手い人の3要素

上手い人は練習している


高校時代からギターを弾いていますが、はっきり言ってそこまで上手じゃない。
ちょっとは演奏できると思っているけど、それ以上はない。
でも自分のマインドセットが少し変わって、最近ちょっとずつですが上達しています。

上手くなりたいなら、時間をかけて練習すれば良い。ただそれだけのことでした。
ここ3ヶ月ほど毎日のようにギターを触るようになりました。
自分で基礎練を選んで、集中して取り組む。そうするとやっぱり少しずつ指の動きが良くなりました。

基礎練習は、限界点を押し上げる大切なもの。
大人になっても何かの練習をすること自体が面白いものだと気づきました。



上手い人は工夫している


次はどんな練習をするべきなのか?
自分ができていないことは何か?
やりたいことは何か?
効率の良い練習方法は何か?

そういう工夫をすることも、本当は面白いんですよね。
面倒くさいことかもしれませんが、こんなお勉強も楽しいと思えることに出会えているのは幸せです。
欲を言うと直接教えてくれる「師匠」がいるといいなぁなんて思っちゃうんですけどね。


上手い人は好きでやっている


最近楽しんでギターの練習をしていてつくづく思います。
音楽がやっぱり好きだし、できることならもっと上手になりたいです。
そのための努力も、できる限りやってみたいと思うようになりました。
好きこそものの上手なれなんですよね。

と、そんなことをしみじみ考えていました。今日も今からギターを触ろうと思います

重たい仕事を、真っ先に。

エネルギーを使う仕事を先に片付ける気持ちよさについて。


今日は軽やかに仕事ができました。
意識はしてませんでしたが、一番大きなタスクを最初に行ったからだなと思います。
一番頭を使うし、一番時間と手間のかかるタスク。これを先に終わらすメリットって大きい。

  • 先延ばしにしないことで「あの仕事やらな…でも大変だな…」で悩む時間がなくなる。
  • 朝一番のパフォーマンスが、やっぱり肉体的にも精神的にもベストだと言える。
  • これ以上重たいタスクが無くなるので、テキパキと仕事が進んでいく実感を味わえる。


毎日うまくいくわけではありませんけどね。
でもこれを続けるために、ちょっとしたコツがあると思っています。



朝、1日を始める前にハイライトを決めておくと良さそう。


今日、一番重要なタスクは何ですか?

この問いに答えておくのがポイントだなと思います。
朝、起きてすぐ行動を始める前に立ち止まって考える。
そこにさえ集中すれば、1日が進んでいくようなものをひとつ設定する。
目標を決めてから行動を決める習慣を持つことは良いものですね。

設定すること自体は仕事に関連していなくても大丈夫。いろんな日がありますから。
仕事が終わってからのプライベートに1日のハイライトを立てるのもよし。
ただ、重要なことが仕事だった日には、それを優先して片付けるようにする癖をつけてみたいと思います。

起き抜けの不快感を、洗濯するためのジャーナリング。『朝1分間、30の習慣。』

『朝1分間、30の習慣。』マツダミヒロ


数年前から、自分の人生を自力で動かしているという実感を持ちながら生活することができています。

読書をして、様々な知識に触れることができている。
継続的に散歩して、有酸素運動を増やすことで減量に成功した。
筋トレをするようになって、まだまだ成長できることを知った。
食習慣を整え、自分なりの十分を理解している。
ノートを持ち歩き、自分のアイデアを大切にしている。
自分の仕事について研究し、ノウハウを身に着けた。などなど。

まだまだ道半ばですが、自分の人生を自分でコントロールしている感覚は好きです。



私は、大切なことを朝に行っている。


こういった行動の大半を、早起きして朝のうちに行っています。

自分の朝のルーティン

起床してすぐにノートを広げる:その日の予定や今の気持ちなどを書き出す。
20分の散歩:しっかりと心拍数が上がるくらいの速歩きを意識して。
10分の瞑想:からっぽの時間を作る。
体重測定:体脂肪率と筋肉量の記録。
コーヒーと読書:10分でも本を読む。
ギターの練習:ここ2ヶ月くらい夢中になっていることです。


散歩も瞑想も、読書もギターの練習も、語れることがあるのですが…。
今回紹介した本から取り入れてみたことをメモしておこうと思います。


朝のジャーナリングで整理すること。


1日の計は朝にあり。見通しを立てるからこそ良い1日をデザインすることができると思います。

ジャーナリングすること

  • どんな1日になったら最高?
  • 今日、楽しみにしていることは?
  • 起きてすぐの今、どんな気持ちになっている?
  • 気になっていることは?
  • 達成したい人生の目標のために、今日できることは?
  • 今日1番大切なタスクは?


こういうことを、ノートに書き留めることにしています。
起きてすぐ取り組むこの時間、結構好きなんです。
ベッドから起きた時、やっぱり不快な気持ちで頭がモヤモヤしますが、書いているうちにスッキリしてくるんですよね。
脳みその洗濯をしているような気分です。
きれいになった心と脳を持って、散歩に出かけると気持ちが良いことに気が付きました。

スタートラインに「やらなあかん」を置くか、「やりたい」を置くか。

人間、スタートラインに「やらなあかん」を置くとしんどい。


家事に追われ、仕事に追われ、締め切りは向こうから走ってやってくる…。
ぼんやりとした目標を持っていても、そこへ向かう過程は楽しいものばかりじゃない。


自分にはブログを書いて、自分の思いを綴っていく中で、人と良い出会いがしたいと思っています。
でも実際に記事を書くまで、私がブログを書きたいと思ってからおよそ2年はかかりました。
ちょっとした気づきをノートに書き留めるのは好きなのに。
一日の終わりにPCを開いて、日記を書くのは1年以上続いているのに。
でもブログを始められなかった。

それは自分が「ブログ」の上に「やらなあかん」を積み上げていったからなのでしょう。



夢を叶えるために「やりたいこと」は何なのだろう。


やりたいことから始めるって、実は見落としがちなことかもしれません。

おうちをきれいにしたい…風呂場の掃除とトイレ掃除をやらなあかん…

風呂場の掃除をすれば、今晩の入浴が気持ちよくなるか!こっちのほうがやりたいな!

風呂場がきれいになった!全部じゃないけど、おうちはきれいになった!
(最高のパターン)よし、この調子でトイレの掃除もやっちまおう!!


やりたいことから始めることのメリットは、一歩目を踏み出しやすいこと。
そして人間、動き出しに一番エネルギーがかかるところがネックなんですよね。
だからやってみれば存外、はずみがつくかもなと考えます。



いずれ「やりたいこと」になっていく。


何もする元気がないのなら、本気で休めばいい。休むことに後ろめたく思う必要はない。
これは逃げではなくて、最大の攻めなんだと思う。
先延ばしとは少し違う気がする。目標に近づく行動はできているのだから。


本気でやりたいと思ったことは、集中して取り組めますよね。
空腹を耐えて耐えて、ひとくち食べるシュークリームのように。
夏の暑い季節に汗をかいてから、一気に喉に流し込むビールのように。
やりたいことを取り組むと、最大限の成果が帰ってくるのではないでしょうか。


一歩、また一歩と進んでいくと、かつての「やらなあかん」は「やりたい」に変わるかもしれません。
それが夢を叶えるために本当に必要なのなら。そんなことを考えました。

完璧よりも、完了よりも、一歩目だと気づいた本。『800字を書く力』を読んでいます。

『800字を書く力』鈴木信一


1と100の間に大きな差はない。それよりも0と1の違いが、大きな違いに繋がる。
私にとっては、そんな教訓を得た本です。
「自分の思いの丈を少しずつ書き留めて、人と共有したい。そういうネットの使い方をしたい。」
そう願ったのは数年前。ブログも作った。デザインも決めた。
あとは書くだけ。でも肝心な言葉が出てこない。
準備が必要だ。今はその時じゃない。中途半端に終わるくらいならやらなくても良いんじゃないか。


「完璧を目指すより前にまず終わらせろ。」
その言葉は知っていても、いつまで経っても始まらない。
そんな自分が一歩を踏み出せたのは、この本を読み始めたからでした。



文章を書くう上で大切にしたい心構え。


まだ読み始めて半分の段階ですが、この本が最初に伝えてくれていることは2つあります。
ひとつは、文章を書くという営みが持つ魅力について。
もうひとつは、文章は「つながり」であることを理解して一歩を踏み出すことについて。

1. 文章を書くという営み

数文に渡る文章を書いていけば、自然と情報が増えていく。
今日は疲れた→仕事で失敗したからだ→悔しい以上に、失敗した自分を許せない。
人は自然と不足している情報を補っていく。その中に「ひらめき」が生まれる。
その中に好ましい・好ましくないに関係なく自分の内奥に潜むものを見つけることになる。

2. 文章は「つながり」なのだから、一歩目を踏み出すこと。

さきほどの日記のように、一歩目さえあれば文章は広がっていく。
当然さまざまなテクニックも他に必要になりますが、文章を書くこと自体は「はじまり」があれば、誰にでもできることである。


この2つは、序章から1章までに書かれていることなのですが、自分にとって影響の大きい部分でした。
読み進めていくうちに、何か書いてみよう。そんな気持ちになり、ノートを開きました。
「自分はどんな1文目が書けるだろうか。」そこからはじめてみました。



0が1になったのだから、きっと何かが変わると思える


自分をプロデュースする術も知らない。どうすれば共感してくれる人と出会えるかも分からない。
この記事が結局どのくらいの人の目に触れることになるか?きっと数人程度だろう。
まだ行動を起こせるほど準備できてない。そんな気持ちがいまだにあります。


でも自分は一歩目を踏み出せました。0が1に変わりました。
これからも少しずつ思ったことを表してみたいと前向きに思える自分がいます。